修理と大西洋での活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 04:17 UTC 版)
「サウスダコタ (戦艦)」の記事における「修理と大西洋での活動」の解説
サウスダコタはヌーメアで工作艦プロメテウス(USS Prometheus, AR-3)による補修を受けた後、11月25日にトンガタプ島に向かい、さらにその後、本国に帰還。ヌーメアでは、「ワシントンはサウスダコタを見捨てて逃げた」という噂が広まり、両艦乗組員は歓楽街で留置場が満杯になるほど大規模な喧嘩を繰り広げた。サウスダコタがニューヨークに到着したのは同年12月18日のことであった。ギャッチ艦長は“サンデー・イブニング・ポスト”の取材に「戦艦X(サウスダコタ)が霧島を撃沈し、ワシントンとリー提督は逃げた」と宣伝したので、サウスダコタ乗組員に戦争後も消えない怨恨を刻んだ。こうした経緯もあって、ワシントンの乗員からは「大きなクソッタレ」(Big Bastard)、艦名を捩った「クソッタレの男根」(Shitty Dick)などという不名誉なあだ名も付けられている。また最年少乗組員のグラハムは、第三次ソロモン海戦での本艦の戦闘と損傷によって本当の年齢が判明し、のちにアメリカ海軍から追放された。こうした些細な事件を背景にサウスダコタはオーバーホールと完全修理を終え、1943年(昭和18年)2月25日に出航、海上公試の後空母レンジャー(USS Ranger, CV-4)と共に4月中旬大西洋で作戦活動を行い、サウスダコタは続いてスカパ・フローを拠点としてイギリス軍の本国艦隊との作戦活動を行った。当時、ノルウェーを拠点にドイツ海軍のビスマルク級戦艦のティルピッツやシャルンホルスト級戦艦のシャルンホルストなどが活動していたが、サウスダコタと撃ち合う事はなかった。
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