例5 兵庫県20歳女性
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1964年(昭和39年)兵庫県明石市で確認された事例。大阪大学産業科学研究所(ISIR)所長、同大教授で農学者の二国二郎が、体内からデンプンを排出する奇妙な事例について調査を行う中で、明石市の国立明石病院(現明石医療センター)に綿ふき病患者が現れたと聞き及び、1964年(昭和39年)2月21日に明石病院を訪れた。同病院長の小坂暁一の案内で患者と面会した。女性患者は現在20歳、4年前の1960年(昭和35年)2月に別の医療機関で受けた虫垂炎手術の術後経過が悪く、同年6月になって明石病院を訪れ小坂の診察を受けた。虫垂炎の手術痕には数個の瘻孔(ろうこう)があって小坂が掻き出すと中から小さな綿塊が数個出てきた。この時点で小坂は綿ふき病の存在を知らず、田尻と同じように前に処置した医師が不注意で綿を取り残したものと考えたという。改めて手術を行うと、取り除いた患部からまた小さな綿の塊が出てきた。7月7日に患者は退院するが同年10月に再び瘻孔が生じたため、小坂が処置をすると驚いたことに再度綿が出てきた。その後も同様の経過と処置、綿の出現が繰り返され、これはただごとではないと小坂は気付いたという。文献を当たり岡山のN農婦の事例を知り、早速岡山大学の赤木に連絡した。二国が訪れた1964年2月の時点で小坂と赤木は当該女性の病理切片をつくり共同で研究調査を行っているという。この患者から排出される綿の量は1日あたり数ミリグラムほどの少量であるものの、不思議にも赤、青、黄などに着色されたものが混ざっており、二国は目の前で患者の瘻孔から採取してもらった血膿をもらい受け、大阪へ戻って検鏡した結果、血膿の中の着色された線繊維の美しさに驚嘆したという。
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