作風とその人柄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/17 00:33 UTC 版)
文学にも造詣が深く、自宅にかなり貴重な蔵書コレクションを数多く所有していたと伝えられている。そんな彼は、文章に対しても非常に厳密さを求め自らのことを書かれることに過敏であった。実際、多くの情報は一般に出回っておらず直接本人を知る者たちによってその伝説のような人物像が語り継がれている。その他、かつての文豪たちを髣髴とさせる古めかしい仮名遣いや独特の片仮名語、旧漢字を含む幾分漢文調の文体はそれだけがひとつの芸術であって、彼自身による数限られたそれらの文章は、彼の音楽を理解する上での非常に貴重な情報源と見なされている。 「音楽芸術」1998年11月号の100頁からの部分に、「創作の現場から」という連載の第4回として彼が寄稿している。「私は四月のあたまから癌のため入院加療して居ります」と唐突にも書き出したその文章は、休職した彼が既に病魔と闘って入退院していた時期だけに、周りの者をひどく驚愕させた。しかしながら暫し読み続けると、実のところその冒頭文は亡き武満徹から彼が受け取った手紙の引用であることが判明し、癌だというのは武満自身についてであることで読者を安堵させるのであるが、業界の大きな心配をよそにメディアに仕組まれた彼らしい大胆なそのブラック・ジョークは、実は彼自身の病名に関する間接的な独白として仕組まれた最後のいたずらでもあったことを後に人々に知らしめることとなった。ヘビー・スモーカーであった彼は、肺癌に蝕まれていたと後に伝えられている。
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