作成の主体と過程
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 22:56 UTC 版)
参詣曼荼羅の作成において、図の作成を企図した個人、集団ないし組織を作成主体と称する。作成主体の上位には出資者として願主や施主がいる場合もあるが、作品を作成工房(工房ないし絵師)に発注し、工房から受け取るのは作成主体である。この作品の使用者は作成主体と一致する場合もそうではない場合もある。このような作成主体と使用者との関係が問題になるのは、中世の寺社組織や構造が、学侶・行人のような正式の構成員だけでなく、寺社外部の雑多な聖や民衆をも含めた重層的・都市的な場だったからである。勧進活動において作品の使用者であったのは、多くの場合、堂社の修理・造営や燈明料といった財源の確保を担っていた聖に相当する存在であったと考えられている。 勧進聖は時として、鎌倉時代初期の東大寺造営に功績のあった重源のように、応急の臨時的活動とはいえ、財源の調達から造営・修造の実施に至る一切を全面的請負事業として掌握する例があった(中世的勧進)。こうした中世的勧進はのちに寺社内に拠点をかまえて定着し、本願と呼ばれる勢力として地歩を築くようになるが、寺社勢力からは正規の構成員として認められることはなく、近世の社会的安定を背景に寺社勢力が回復を遂げるにつれ、衰亡に至ったとするのが通説的理解である。本願所に関する研究が進んでいる熊野三山および那智参詣曼荼羅をめぐる研究によりこうした理解は裏付けられてきたもので、熊野那智山の本願であった寺院群は、熊野比丘尼や山伏の本寺として身分や活動を保証し、諸国に送り出していた。しかし、清水寺成就院や多賀大社のようにむしろ本願が寺社側を圧倒して地歩を保った例や、外部から勧進活動を担う勢力を招じ入れずとも、内部で調達できていた場合もあり、作成主体と使用者の実相がいかなるものであるかは個別の寺社に依存する。
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