作家デビューの経緯
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椎名は『家族輪舞曲』発表前年に、同じマガジンハウスの雑誌『an・an』に「作家」という肩書きでルポを連載した。それと並行して「名前・椎名桜子 職業・作家 ただ今処女作執筆中」というキャッチコピーで広告展開をおこなう[要出典]。発売時の1988年3月24日の全国紙に掲載されたマガジンハウスの広告では「22歳大型新人の書き下ろし処女作。新たな青春文学の誕生」と紹介された。 マガジンハウスはこの年から単行本出版に進出したばかりであった。文壇に伝手を持たなかった同社が会社を挙げて椎名を売り出したことは同年12月の新聞記事に言及があり、記事中で同社の書籍出版部編集長は「本は8万部出ました。処女作としては成功といっていいでしょう。ただ、文学の正統をいく彼女の作品が批評家らにほとんど無視されたのは残念でした」とコメントしている。その後まもなく、同作は本人の監督によって映画化されることとなった。 映画『家族輪舞曲』は1989年11月に公開されたが、配給収入は6千万円台にとどまり、映画評論家等からの評価も芳しいものではなかった。 その後出版された著作は『家族輪舞曲』ほどの話題を集めることはできず、文芸界の一線から退いた。
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