作品の下敷き・影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/17 08:07 UTC 版)
牧野信一は1928年(昭和3年)頃から、プラトンの『ソクラテスの弁明』、『クリトン』、アリストテレスの『詩学』、ミゲル・デ・セルバンテスの『ドン・キホーテ』、ゲーテの『ファウスト』、スウィフトの『ガリバー旅行記』、スターンの『感傷旅行』(A Sentimental Journey)などを愛読し、作品に豊かな夢想が見受けられはじめた。 その影響などを受けた牧野中期(1927年から1932年)の文学は、幻想的田園叙事詩的作風が特徴的で、文壇から「ギリシャ牧野」と呼ばれていた絶頂期にあたる、『ゼーロン』はこの時期に書かれた作品の中でも「傑作」とされ、『バランダ物語』(1931年)、『酒盗人』(1932年)などと共に、牧野文学中期を代表する作品と呼ばれており、その作風や「騎馬行」という発想には、牧野の愛読書である『ドン・キホーテ』の影響が指摘されている。 また、牧野は『ゼーロン』執筆の約一年前に、「私の尊敬する先輩の藤屋八郎」の屋敷「ピエル・フオン」を馬に乗って訪ねた時の随筆『ピエル・フオン訪問記』を書いているが、牧野信一研究者の柳沢孝子は、この随筆の舞台設定その他が類似している点から、牧野がこの随筆を下敷きに『ゼーロン』を書いた可能性が高いとしている。しかし随筆の方には、「駄馬との格闘」はなく、牧野がこの設定の直接的ヒントとしたのは、ロバート・ルイス・スティーヴンソンの紀行文『旅はロバをつれて』(Travels with a Donkey)ではないかと柳沢は見ている。 また『ゼーロン』の前日譚ともいえる小説に『心象風景』(1931年)と、後日譚ともいえる小説に『夜見の巻』(1933年)がある。
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