六角氏頼
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六角 氏頼(ろっかく うじより)は、南北朝時代の武将・守護大名。六角氏4代・6代当主。
- ^ 『瑞石歴代雑記』に「(暦應元年)十一月十五日、江州観音寺城主、佐々木六角近江守、従五位時信嫡男、母長井宮内少輔時守女也、歳十三、元服、加冠尊氏公、乃賜諱字號氏頼、且賜太刀鎧等、依有永補綸旨、卽日任左衛門佐、敍從五位下、」〔原文ママ〕とある(『大日本史料』6-32、P.122)。「徳源院本 佐々木系図」では氏頼の元服を建武元年(1334年)3月5日(当時9歳)とする(『大日本史料』6-32、P.121)が、佐々木哲は前者を採用している(大夫判官氏頼(入道崇永)- 佐々木哲のブログ記事)。一方、新谷和之は、暦応元年9月25日に室町幕府から氏頼に充てて畠山修理亮入道による円城寺領の押領を阻止するように命じられていることから(京都府立京都学・歴彩館/東寺百合文書WEB- ヰ函/30/4/)、この時には氏頼が家督の地位にあったとしている(新谷、2022年、P59.)。
- ^ 山内定詮(後の信詮)は千手(後の義信)が幼少であったための名代で正式な守護ではない(ただし、文書の受け取る側からは守護と見なされる余地があった)とする見方もある(新谷、2022年、P59.)。
- ^ このとき次男の亀寿丸(後の満高)は生後まもなくだったという説がある。
- ^ 『後愚昧記』・『常楽記』同日条、『空華日用工夫略記』同月二十四日条、『瑞石歴代雑記』。
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