伯奇とは? わかりやすく解説

伯奇(はくき)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 15:02 UTC 版)

サクラノ詩」の記事における「伯奇(はくき)」の解説

人の心を吞むことができるという巫女で、悪夢吞んだり、夢見による占い行っていたという。方相氏という巫女一族の血と混じり合った中村家人間から、まれにこの力を持ったものが生まれそのたび中村家勃興したと言われている。ゆえに中村家は伯奇の力で、衰退した家の力を取り戻そう埋木舎(後の夏目屋敷)を作り、妾を作ってその子をさらに妾とする近親姦繰り返し中村の血を薄めないようにようとしていた。また伯奇の力は、心を持った者は使えないと言われている。

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「伯奇(はくき)」を含む「サクラノ詩」の記事については、「サクラノ詩」の概要を参照ください。


伯奇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/03 03:21 UTC 版)

尹吉甫」の記事における「伯奇」の解説

尹吉甫の子の伯奇(はくき)が、継母の嘘によって家を追いだされた説話多く書物引かれており、書物によってさまざまに話が変形している。 『風俗通義』正失篇によれば曽子が妻を失ったとき、「尹吉甫のように賢い人に伯奇のような孝行な子があっても(後妻のために)家を追放されることがあると言って再婚しなかったという。 劉向説苑』の佚文『漢書』馮奉世伝の顔師古注および『後漢書』黄瓊伝の章懐太子注に引く)によると、伯奇は前妻の子で、後妻の子伯封がいた。後妻伯封に後をつがせようとして、わざと衣の中に入れ、伯奇がそれを取ろうとする様子見せて、伯奇が自分欲情していると夫に思わせた。夫はそれを信じて伯奇を追放したという。ただし、『説苑』では伯奇を尹吉甫の子ではなく王子としている。 『水経注』の引く揚雄『琴清英』によると、尹吉甫の子の伯奇は継母讒言によって追放された後、長江身を投げた。伯奇は夢の中で水中仙人良薬をもらい、こので親を養いたい思って歎きの歌を歌った船人はその歌をまねた。吉甫は舟人の歌が伯奇のものに似ている思って琴で「子安之操」という曲を弾いた蔡邕『琴操』履霜操では、この曲を追い出された伯奇が作ったものとし、宣王がこの曲をきいて孝子歌詞であるといったため、尹吉甫あやまち気づいて後妻射殺したとする。 曹植「令禽悪論」では、尹吉甫は伯奇を殺したことを後悔していたが、ある日尹吉甫伯労モズ)が鳴くのを聞いて伯奇が伯労生まれかわった思って後妻射殺したと言う

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「伯奇」を含む「尹吉甫」の記事については、「尹吉甫」の概要を参照ください。

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