伯奇(はくき)
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人の心を吞むことができるという巫女で、悪夢を吞んだり、夢見による占いを行っていたという。方相氏という巫女の一族の血と混じり合った中村家の人間から、まれにこの力を持ったものが生まれ、そのたびに中村家は勃興したと言われている。ゆえに中村家は伯奇の力で、衰退した家の力を取り戻そうと埋木舎(後の夏目屋敷)を作り、妾を作ってはその子をさらに妾とする近親姦を繰り返し、中村の血を薄めないようにしようとしていた。また伯奇の力は、心を持った者は使えないと言われている。
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伯奇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/03 03:21 UTC 版)
尹吉甫の子の伯奇(はくき)が、継母の嘘によって家を追いだされた説話は多くの書物に引かれており、書物によってさまざまに話が変形している。 『風俗通義』正失篇によれば、曽子が妻を失ったとき、「尹吉甫のように賢い人に伯奇のような孝行な子があっても(後妻のために)家を追放されることがある」と言って、再婚しなかったという。 劉向『説苑』の佚文(『漢書』馮奉世伝の顔師古注および『後漢書』黄瓊伝の章懐太子注に引く)によると、伯奇は前妻との子で、後妻との子に伯封がいた。後妻は伯封に後をつがせようとして、わざと衣の中に蜂を入れ、伯奇がそれを取ろうとする様子を見せて、伯奇が自分に欲情していると夫に思わせた。夫はそれを信じて伯奇を追放したという。ただし、『説苑』では伯奇を尹吉甫の子ではなく王子としている。 『水経注』の引く揚雄『琴清英』によると、尹吉甫の子の伯奇は継母の讒言によって追放された後、長江に身を投げた。伯奇は夢の中で水中の仙人に良薬をもらい、この薬で親を養いたいと思って歎きの歌を歌った。船人はその歌をまねた。吉甫は舟人の歌が伯奇のものに似ていると思って琴で「子安之操」という曲を弾いた。 蔡邕『琴操』履霜操では、この曲を追い出された伯奇が作ったものとし、宣王がこの曲をきいて孝子の歌詞であるといったため、尹吉甫はあやまちに気づいて後妻を射殺したとする。 曹植「令禽悪鳥論」では、尹吉甫は伯奇を殺したことを後悔していたが、ある日尹吉甫は伯労(モズ)が鳴くのを聞いて伯奇が伯労に生まれかわったと思って、後妻を射殺したと言う。
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