伝説化されたノートンの行動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 17:12 UTC 版)
「ジョシュア・ノートン」の記事における「伝説化されたノートンの行動」の解説
晩年には、彼はしばしば色々なうわさや憶測の的になった。よくささやかれたうわさの一つに、彼は本当はナポレオン3世の子で、表向き南アフリカ出身と言うことになっているのは追及をかわすためだ、というものがある。別のうわさではノートンはヴィクトリア女王と結婚しようとしているというものがあったが、彼は女王と幾度か手紙を交わしたことがあって、それによって彼女に忠告を与えていたのである。最後に、ノートンは本当は大金持ちだが貧民に対する同情の念から貧しさを装っている、といううわさもあった。 また、メディアや作家たちも好んでノートンの風評を書き立てた。いくつかの偽「勅令」が新聞に掲載されている。これらの新聞の編集者たちは、少なくともいくつかの「勅令」をそれらしい内容で偽造したのではないかと疑われている。サンフランシスコ市立博物館(英語版)は本物だと証明された全ての「皇帝勅令」のリストを所蔵している。 ノートンは二匹のお供の雑種犬ラザルスとブマー(英語版) を連れ、劇場の貴賓席に現れていたというものもあるが、現在では二匹の犬と皇帝の関係はほとんど無かったと考えられている。当時の人気者であった皇帝と二匹の犬を関連付ける記述は当時の新聞記事には掲載されていない。画家エドワード・ジャンプ(英語版)が描いたラザルスの葬儀をノートンが取り仕切っているものもあるが、事実ではない。ノートン自身は、ラザルスとブマー、そしてノートンが描かれたジャンプの絵を見て激怒し、絵が飾られていたショーウインドウを杖で叩いたことがある。
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