以前のカントリー・ミュージック殿堂博物館
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「カントリー・ミュージック殿堂博物館」の記事における「以前のカントリー・ミュージック殿堂博物館」の解説
1961年、カントリーミュージック協会(Country Music Association 以下CMA)はカントリー・ミュージック殿堂の建設を発表。11月にCMA晩餐会で発表された、最初の殿堂入りは、いずれも既に故人となっていたジミー・ロジャース、フレッド・ローズ、ハンク・ウィリアムスの3人であった。レリーフでの3人それぞれの顔の肖像画と略歴入りのブロンドの盾が制作され、アーネスト・タブによってグランド・オール・オープリーで公開。これら及び以降の殿堂入り者の盾は、1967年までナッシュビルのテネシー州立博物館に展示されていた。 1963年、CMAはカントリー・ミュージック殿堂博物館をナッシュビルのミュージック・ロウに建設すると発表。同年テネシー州は博物館を管理する非営利的な組織としてカントリー・ミュージック財団(以下CMF)の設立を認可。 1967年4月1日、最初のカントリー・ミュージック殿堂博物館がミュージック・ロウ(ミュージック・スクエア東とディヴィジョン・ストリートの角)にオープン。博物館の活動は教育的プログラム、CMFプレス、CMFレコード、カントリー・ミュージック財団図書館(1968年)、歴史的場所のRCAスタジオB(1977年)、ハッチ・ショー・プリント(1986年)など。2000年12月31日、ミュージック・ロウのカントリー・ミュージックの殿堂博物館は閉館。建物は後に取り壊され、現在音楽著作権管理企業BMIの従業員のための私有駐車場となっている。スターになる前のキャシー・マティアとトリーシャ・イヤウッドはミュージック・ロウにあった博物館のツアー・ガイドとして働いていた。
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