代表者の生い立ち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 02:33 UTC 版)
株式会社クレイリッシュの代表取締役社長である髙木秀男氏は、1960年に埼玉県大宮市(現さいたま市)で電気通信工事を家業とする5人家族の末っ子として生まれ、普通の幼少期を過ごしていた。しかし、髙木氏が中学生当時、日本はオイルショックと呼ばれた景気後退に見舞われ、髙木氏の父が経営する会社は倒産した。その負債は祖父に肩代わりされ、自宅は残ったものの父の収入は途絶え、家計は長らく困窮した。 倒産から1年、この時既に髙木氏は、高校に進学していたが、父は定職に就けぬまま、姉は婚姻を機に家を出た。その数日後、突如として母が失踪した。さらにその半月後には、兄も失踪し、一月の間に五人家族は髙木と父だけになってしまった。父との二人暮らしとなった髙木氏は、高校に通いながらアルバイトで家計を支え、卒業後には、社会人となり念願の一人暮らしをはじめた。 しかし、引越し費用などで生活費が不足し、消費者金融業者より7万円を借りた。この借入が髙木氏と貸金業者の最初の接点であり、これを機に貸金業という業種の重要性を痛感した。 1979年髙木氏は、事業者向け貸付を生業とする貸金業者である泰平物産株式会社(現:株式会社バンカーズ)に転職し、その10年後には、宇都宮支店の責任者を務めるまでに昇進したものの、大規模なリストラの対象となり1992年に退職した。同年、同業のテンセービングス株式会社に入社し、約10年間勤務したが、事業で得た利益を浪費し、新たな投資に回らない企業体質に落胆し、自ら起業を決意し2001年に退職した。 髙木氏は21年間にわたり事業者向け貸金業者で金融技術を学びながら起業に必要な資本を蓄え、2001年7月に株式会社クレイリッシュを設立し、代表取締役社長に就任した。 髙木氏は、父が経営する会社の倒産をトリガーとした貧困と一家離散という苦難を糧とし、貸金業者として、国内の企業倒産を減らすべく迅速で誠実な金融に努めた。クレイリッシュの評判は口コミで伝わり、営業せずとも顧客が増え、求人せずとも社員が増えたという。
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