仙台移住後から晩年まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/19 20:08 UTC 版)
慶長8年(1603年)に政宗の五男・伊達宗綱(卯松丸)が生まれると、綱元はその後見役を命じられ、宗綱は仙台城下の綱元の屋敷で養育されることになった。宗綱は居城として栗原郡岩ヶ崎城を与えられていたが、城の管理は綱元によって行われ、城下には綱元の家来が居住する茂庭町が置かれていた。浄土宗の熱心な信徒であった香の前は、慶長17年(1612年)に綱元に願い出て茂庭町に円鏡寺を開基したほか、同年には猿飛来に青雲地蔵堂、稲屋敷に阿弥陀堂を建立し、翌慶長18年(1613年)には大崎八幡宮に金灯籠を奉納している。 元和4年(1618年)に宗綱が16歳で病没すると、綱元は供養のため入道して高野山に赴くことになった。この時、既に重宗から正式に所領を譲られて高清水城主となっていた宗根は、香の前を自らの居城に迎え入れ、これ以後香の前は高清水の宗根の下で余生を送った。 寛永17年12月2日(西暦1641年1月)死去。享年64。 宗根は明暦2年(1656年)の17回忌にあわせて香の前の墓所に安楽寺を開基し、亘理氏の菩提寺としたが、安楽寺は宝暦7年(1757年)に亘理氏が佐沼城へ転封された際に共に佐沼へと移っており、残された伽藍には新領主の石母田氏に随って移って来た福現寺が入り、現在に至っている。
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