仏教の「理」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/04 17:53 UTC 版)
仏教における理は、道理・義理・条理を意味し、治める、正すなどの意味で用いる。漢訳仏典では、思想的に重要な概念を表す意味で「理」という言葉は用いられない。 しかし、中国の仏教者たちは、東晋の支遁(しとん、314年 - 366年)をはじめとし、漢訳仏典を解釈し、さらに独自の教理体系を築いていく際に、この中国伝統思想の重要な概念語を重用した。その場合、「理」は普遍的・抽象的な真理を指すことが多く、特に事(個別的具体的な事象)と対になると、現象の背後にあって現象を現象たらしめている理法を意味する。 特に唐代に盛んであった華厳(けごん)教学では、「理」は最も重要な術語である。理は「事」と対比的に使われ、理事無礙(むげ)は、普遍的な理法と個別的な事象とが一体不可分で、矛盾なく調和していることなどといわれ、教学の特徴を示す言葉となっている。 仏教では、現実世界をどのように認識するかということがもっとも大切なことであり、その現実を現実のままに認識することを事と言い、それを理論づけたり言葉に乗せることを理と言う。その意味で、仏典はすべて理であり、釈迦がさとった内容は「事」である。その意味で、「不立文字」は事の内容は言葉にできないことを説明している。
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