仏教のギリシア文化に対する影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/06 09:25 UTC 版)
「仏教とキリスト教」の記事における「仏教のギリシア文化に対する影響」の解説
地中海周辺のギリシア人の支配者も仏教の宣教団を受け入れたとされるのに、バクトリアとカーブル峡谷でだけは仏教が定着している。また、『マハーワンサ』という後代の仏教の年代記に述べられている、紀元前2世紀に大ストゥーパに奉仕するようになった仏教徒の間で、「ヨナ国の首都のアラッサダーから来た三万人以上の僧侶がいた」というのは、キリストの時代の遥か前にエジプトのアレクサンドリアが仏教のコミュニティーの繁栄の中心であったと主張しているのだととられることがある。「アラッサダー」がパーリ語でアレクサンドリアを指しているのは事実である。しかし、ここで述べられているのはエジプトの首都のことではなくヨナ国、石窟のヤヴァナ国、つまりバクトリア周辺の中心都市である。そして、言及されている都市はヒンドゥークシュ山脈の辺りにあったアレクサンドリアである可能性が高い。
※この「仏教のギリシア文化に対する影響」の解説は、「仏教とキリスト教」の解説の一部です。
「仏教のギリシア文化に対する影響」を含む「仏教とキリスト教」の記事については、「仏教とキリスト教」の概要を参照ください。
- 仏教のギリシア文化に対する影響のページへのリンク