仏教の「極微」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 10:14 UTC 版)
仏教の学派「説一切有部」のアビダルマ論書のうち、中期以降のものに原子説が見られる。 (物質を表す語である)色(ただし無表色を除く)は多くの原子(パラマ・アヌ、極微)が集合して成り立っているとされる(「アヌ」は「微粒子」の意。「パラマ」は「最高の」「極限の」の意)。原子は物質を次第に分割した極限において、もうこれ以上分割できないだけの大きさである。原子は微粒子ではあるが、立体的にそれを包む面を持たない(もし面を持つとすれば、更に分割が可能となり、定義に反くため)。原子を中心に上下左右前後に1個ずつが集まり7個の原子の集合したものが第2の単位のアヌとなる。 原子が他の原子と接触するかしないかの論争があったが、接触しないのが正しいと認められている(接触する場合は、一部で接触するか全部で接触するかのいずれかであるが、全部で接触すれば2つの原子は全く重なりあってしまうこととなり、また一部で接触すれば原子が部分を持つこととなることからもはや分割されえないはずの原子がさらに分割されることとなり、定義に反するため)
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