今村宮とは? わかりやすく解説

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今村宮

読み方:イマムラグウ(imamuraguu)

教団 神社本庁

所在 岡山県岡山市

祭神 天照大神 ほか

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

今村宮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/19 00:15 UTC 版)

今村宮

参道と随神門
所在地 岡山県岡山市北区今4-3-5
位置 北緯34度38分43.2秒 東経133度53分39.4秒 / 北緯34.645333度 東経133.894278度 / 34.645333; 133.894278座標: 北緯34度38分43.2秒 東経133度53分39.4秒 / 北緯34.645333度 東経133.894278度 / 34.645333; 133.894278
主祭神 天照大御神、八幡大神、春日大神
社格 県社
創建 天正8年(1580年)
本殿の様式 三間社流造
例祭 春祭(5月17日)
秋祭(10月第2土曜日・日曜日)
新穀感謝祭(11月30日)
地図
今村宮
今村宮 (岡山県)
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今村宮(いまむらぐう)は、岡山県岡山市北区にある神社。祭神は天照大御神八幡大神春日大神の3柱。旧社格は県社。

概要

岡山市街地西部の今に鎮座する。元々は、建武元年(1334年)に陸奥国白河領主の菖蒲正寿が内山下榎馬場(現在の岡山県庁北側)に天照大御神・八幡大神・春日大神を勧請し、三社明神または三社宮と呼ばれていた。また、現在の今村宮の地には八幡宮があった。

天正8年(1580年宇喜多直家岡山城を拡張し、その際に当神社を現在の地(旧・今野村)に移転し、移転当時は三社八幡宮と呼ばれたが、江戸時代になって今村宮と改められた。

元和9年(1623年)に今日見られる本殿が再建された。この本殿は三間二間桧皮葺の三間社流造り昭和30年(1955年)に岡山県指定重要文化財に指定された。

このように遷座した経緯があるため、現在地と元来鎮座していた岡山市中心部が氏子となっている。古くから岡山市中心部の産土神として崇敬されており、土光敏夫など著名人の奉納銘も見られる。また、常ノ花寛市・出羽海を継承(山野辺寛一)はこの社を崇敬したため、拝殿には横綱(まわし)の絵馬、肖像額などが献納してある。

黒住教の創始者である黒住宗忠は黒住教を始めるまでは、今村宮の禰宜であった。(父も禰宜で黒住宗忠は三男である)

秋祭り

例年10月第2土曜日・日曜日に開催される。

令和2年は、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、開催中止となった。

交通アクセス

参考文献

  • 岡山県高等学校教育研究会社会科部会歴史分科会/編 『新版 岡山県の歴史散歩』 山川出版社 1991年 21-22ページ


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