今の県、郡、市町村へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/25 22:29 UTC 版)
明治5年(1872年)、名古屋県から改名した愛知県と額田県は合併し、現在の愛知県が成立する。明治11年(1878年)郡区町村編制法制定を受け、東三河は郡及び各町村に分かれ、現在の郡及び町村の原型が出来上がる。明治20年代の明治憲法発布に合わせ、郡制や町村制が施行される。豊橋市は明治に市制を施行した。大正10年(1921年)には郡制廃止法が発布され、大正12年(1923年)に郡会が廃止され、大正15年(1926年)に郡長と郡役所が廃止された。(廃止時、渥美郡は豊橋市、宝飯郡は国府町、八名郡は八名村、南設楽郡は新城町、北設楽郡は田口町に郡役所が置かれていた。)豊川市は太平洋戦争終戦前に市制を施行した。戦後、地方自治法の施行を受けても市町村の区画は明治時代の区画を基本に合併して出来上がっている。現行地方自治法施行後、町村合併促進法による合併で、蒲郡市及び新城市が、平成の大合併により田原市が市制を施行した。 2012年、東三河の地域振興をはかる目的で県の東三河総局(東三河県庁と通称)が豊橋市に設置され、担当する副知事が常駐している。また2015年には東三河地域の市町村で構成される「東三河広域連合」が結成されている。
※この「今の県、郡、市町村へ」の解説は、「東三河」の解説の一部です。
「今の県、郡、市町村へ」を含む「東三河」の記事については、「東三河」の概要を参照ください。
- 今の県、郡、市町村へのページへのリンク