今なお残る「久松五勇士」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/04 10:07 UTC 版)
「久松五勇士」の記事における「今なお残る「久松五勇士」」の解説
軍事色の強い話題だけに、戦後、教科書から姿を消すと本土では瞬く間に忘れ去られていったが、宮古島や石垣島では依然として郷土の英雄という評価は揺るがず、1966年には、宮古島久松海岸にサバニを5本の柱で支えるコンクリート製のモニュメント『久松五勇士顕彰碑』が建てられれ、石垣島においても宮古島出身者ら有志によって伊原間海岸に『久松五勇士上陸之地』の石碑が建立された(題字は荒木貞夫が揮毫)。現在でも、10年ごとの節目に記念事業が行われている。 昭和40年代に、沖縄県出身の音楽家である奥平潤により『黒潮の闘魂』という久松五勇士を称える歌が作られている。 うずまきパンで有名な宮古島市の富士製菓製パンは、「久松五勇士」という名の菓子を販売している。 自由社発行の「新しい歴史の教科書」にも、「久松五勇士」が取り上げられている。
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