人物概要・事績とは? わかりやすく解説

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人物概要・事績

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 02:06 UTC 版)

田中勝介」の記事における「人物概要・事績」の解説

田中勝介慶長15年1610年8月1日徳川家康の命を受け、前フィリピン総督ドン・ロドリゴ帰郷に他の21とともにサン・ブエナ・ベントゥーラ同船してヌエバ・エスパーニャノビスパン現在のメキシコ)のアカプルコ向かい同年11月13日到着した。これは、前年ロドリゴノビスパンへの帰任際し台風のため乗船サン・フランシスコ号遭難1609年9月30日上総国岩和田(現御宿町)に漂着して乗組員317人が岩和田の人達に救助されたことを契機としており、家康側近財政家後藤庄三郎(光次)の仲介ノビスパンへの渡航許されたものである帰国にあたって勝介ヌエバ・エスパーニャ副王ルイス・デ・ベラスコにより派遣され答礼使セバスティアン・ビスカイノとともに1611年3月22日アカプルコ発ち同年6月10日相模国浦賀神奈川県横須賀市)に到着したビスカイノは、エスパーニャ国王フェリペ3世親書携えて答礼使と金銀島探索使命帯びて来日しており、現在の全権大使にあたるとされるビスカイノによれば、勝助は洗礼を受け、洗礼名をフランシスコ・デ・ベラスコといい、太平洋渡海中は善良な態度周囲尊敬集めていたという。なお、このとき、使節団のうち、アロンソ・ムニョス神父家康使節としてエスパーニャ本国向かい、3名はヌエバ・エスパーニャ残り帰朝したのは勝介ほか17名とされている。

※この「人物概要・事績」の解説は、「田中勝介」の解説の一部です。
「人物概要・事績」を含む「田中勝介」の記事については、「田中勝介」の概要を参照ください。

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