京都近鉄百貨店との合併
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 09:41 UTC 版)
「田中太郎 (実業家)」の記事における「京都近鉄百貨店との合併」の解説
草津近鉄百貨店の売上が好調な一方、別会社方式による仕入れや管理費などのコストによって同社は債務超過となった。また、開業の翌週にはジェイアール京都伊勢丹が京都近鉄百貨店京都店よりも好立地の京都駅ビル内に開業し、親会社の京都近鉄百貨店自身も債務超過となった。元社長の髙田多喜男も役員の座から去り、社長となった稲垣繁男や小山禎三のもと、度重なる人員削減や岐阜店の閉鎖に加え、京都店を複合商業施設「プラッツ近鉄」に転換して経費節減やジェイアール京都伊勢丹との差別化による集客を図った。しかし、2000年夏時点で20億円の債務超過と無配の継続により、大阪証券取引所からの上場廃止が目前となっていた。 折しも近鉄百貨店も先代の林修社長時代から上場を検討していたほか、京都近鉄百貨店の吸収合併による効率化は以前から検討していたが、規模の小さい上場企業と規模の大きな非上場企業の合併は困難だった。しかし、規制緩和によってこれが可能となったため、2000年秋に合併を正式に決定し、2001年2月28日に両社は合併した。田中自身が新会社の社長に就くため、事実上近鉄百貨店による救済合併だが、規模が小さい京都近鉄が存続会社となったうえで本社を大阪市阿倍野区、社名を近鉄百貨店に改称する逆さ合併となった。 これに先立ち、近鉄百貨店では1998年にひらかた丸物の後身・枚方近鉄百貨店を吸収合併し、2001年2月の合併直前には吉祥寺の東京店を閉鎖して体質改善を図っている。田中は東京店の閉鎖について、「(かつてのように全国展開する時代は終わり)偉大な地方百貨店を目指していく」と述べた。 京都店の経営再建など課題は残ったものの、とりあえず復配のめどが立ったこともあり、2003年には社長を後任の中川文雄に引き継いだ。
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