京都・室町幕府からの自立とは? わかりやすく解説

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京都・室町幕府からの自立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 05:49 UTC 版)

鎌倉府」の記事における「京都・室町幕府からの自立」の解説

文和2年1353年7月足利尊氏初代鎌倉公方足利基氏対し所領安堵宛行裁判権付与して京都戻った遠隔地京都よりも、鎌倉から関東直接統治した方が安定する考えたことによるが、鎌倉府自立化下地となった。そして、第2代鎌倉公方足利氏満期(貞治6年1367年~)、第3代・満兼期(応永5年1398年応永16年1409年)に、その傾向明確になる例えば、鎌倉府管轄国守護対す指揮権は、基氏期までは京都幕府にあったが、氏満期以降鎌倉府移った考えられている。将軍管領から各国守護宛てた文書がみられなくなり鎌倉府寺社宛の文書みになる守護補任についても、関東管領山内上杉氏以外は鎌倉公方把握しており、幕府持っていたのは推挙であった諸国国人対す所領安堵についても、貞治年間(1362-1367年)までは、鎌倉公方安堵推挙状幕府管領発しており、幕府掌握していたことが分かるが、応永6年1399年)の応永の乱前後契機として、鎌倉公方直接安堵行使するうになるこのころには、所領安堵を持つ鎌倉公方関東武士の間に主従関係確立するとともに幕府鎌倉府に対して指令する権限失った状態になった

※この「京都・室町幕府からの自立」の解説は、「鎌倉府」の解説の一部です。
「京都・室町幕府からの自立」を含む「鎌倉府」の記事については、「鎌倉府」の概要を参照ください。

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