交通の発達
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 06:37 UTC 版)
「アメリカ合衆国中西部」の記事における「交通の発達」の解説
中西部の開発には2つの水路が重要であった。第1の水路は特に重要で、ミシシッピ川に注ぐオハイオ川だった。ミシシッピ川南部をスペインが支配して、アメリカの船が川を下って穀物を運び、大西洋まで持って行くことを拒否していたので、1795年までこの地域の発展を阻害していた。 ミシシッピ川はミズーリ生まれの作家による2つの文学作品に結実した。その作家とはサミュエル・クレメンスであり、ペンネームはマーク・トウェインといった。『ミシシッピの生活』と『ハックルベリー・フィンの冒険』がその2作品である。今日、トウェインの物語は中西部民間伝承の定番となっている。トウェインの故郷ミズーリ州ハンニバルは、当時の中西部を垣間見ることのできる場所として観光客を集めている。 2番目の水路は五大湖の中の水路網である。1825年のエリー運河の開通で、船に乗ったままでミシシッピ川とニューヨーク州、さらにニューヨーク市の海港とを行き来できるようになった。この新しい水路を活用するための湖港が発展した。産業革命の頃、湖はミネソタ州のメサビ鉄山から鉄鉱石を中部大西洋岸州の製鉄所に運ぶ導管となった。後に開通したセントローレンス運河も中西部と大西洋を繋いだ。 オハイオ州とインディアナ州内陸に開鑿された運河も五大湖とオハイオ川の交通を繋ぐ重要な水路になった。オハイオ州とインディアナ州の運河は中西部の農業開発に大きな影響を与えたので、後の「新興成長市場」を予知させる世界最大の人口増加と経済好況が始まった。中西部からオハイオ川とエリー運河を通って供給される商品がニューヨーク市の繁栄を築き、ボストンやフィラデルフィアを凌駕するほどになった。ニューヨーク州は中西部のことをその「内陸帝国」と自慢気に語り、ニューヨーク州は帝国州(Empire State)として知られるようになった。
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