交通の回復
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/03 23:00 UTC 版)
「根府川駅列車転落事故」の記事における「交通の回復」の解説
関東大震災は、人命はもとより鉄道・港湾や日本の経済に至るまでの甚大な被害であった。路線が分断されたために、それまで鉄道を利用していた物流は、海路に頼るか中央本線、篠ノ井線、信越線、高崎線を使って迂回するかの方法で代替せざるを得なくなった。9月4日に運輸局船舶課長が視察した結果、臨時連絡の西部地点を静岡県の清水港と定め、東部地点を芝浦とした。9月6日からは関釜連絡航路に使われていた高麗丸と景福丸の2隻を回航して清水港と芝浦沖間で就航させた。9月28日からは東京-横浜間の鉄道運転再開によって、艀による煩雑さを防止するために芝浦沖から横浜港に航路を変更した。東海道本線については、10月28日に全面的に復旧開通している。 熱海線については、東海道本線に比べて復旧が大幅に遅れた。建設費抑制のためにトンネル掘削を避けて海岸沿いの絶壁を削ってレールを敷設したが、その絶壁が各所で崩落して線路が使用不能になってしまった。国府津から早川までは9月11日に着工し、国府津-小田原までが10月15日に工事完了して旅客列車8往復を同区間で運行し、早川までの工事は11月15日に完了した。早川から先の区間は主要な線でないために後回しとされ、早川-根府川間は12月28日に着工して翌年7月1日完成し、早川どまりだった旅客列車4往復の運行が根府川まで延長された。根府川-真鶴間は5月1日着工して土石流で破壊された白糸川鉄橋を徒歩連絡で10月1日開業、白糸川鉄橋が完成して全線開通となったのが1925年(大正14年)3月12日で、大震災発生後1年半以上を要している。
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