亡命者達の動向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 00:55 UTC 版)
「ロシア正教会の歴史」の記事における「亡命者達の動向」の解説
ヨーロッパや北アメリカに亡命した信徒や聖職者は、すでに移民していたロシア移民が建てた各地のロシア系正教会に拠り、信仰を守った。それによりパリやニューヨークでロシア正教会の神学校が建ち、20世紀における神学研究の1つの中心となった。亡命後、第二次世界大戦時にユダヤ人を救済していたことでゲシュタポに連行されラーフェンスブリュック強制収容所で致命した母マリヤが暮らしていたパリの家が、亡命した正教徒達の知的・神学的議論の中心的存在の一つともなっていたことも、フランス等に亡命した人々により信仰生活・知的活動が守られていたことの一例である。 亡命した著名なロシア人神学者・哲学者の中には、母マリヤの痛悔担当神父でもあったセルゲイ・ブルガーコフ、ニコライ・ベルジャーエフ、ウラジーミル・ロースキイ、パーヴェル・エフドキーモフらがいる。 現地にあった既存の正教会教区に拠る亡命者がいた一方で、新たな教会組織を設立・存続させていくグループも存在した。これを在外ロシア正教会(ROCOR、Russian Orthodox Church Outside Russia)と呼び、1922年にセルビアのスレムスキ・カルロヴツィ(Sremski Karlovci: Сремски Карловци) に集った亡命ロシア人主教達によって設立された。在外ロシア正教会は1927年にソヴィエト政府に対する忠誠の誓約を要求した総主教代理代行セルギイ(・ストラゴロツキー)の総主教位継承を認めず、セルギイの後継者達に対しても長くその正統性を認めなかった。他方、さまざまな事情から亡命先の各地正教会とも若干の摩擦が起こり、その教会法上の立場の不安定性から、長く他の正教会との間に正常な関係が構築されないままとなった。
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