井上哲次郎不敬著書事件とは? わかりやすく解説

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井上哲次郎不敬著書事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 14:34 UTC 版)

国体」の記事における「井上哲次郎不敬著書事件」の解説

1925年大正14年9月井上哲次郎が『我が国体と国民道徳』を著す。同書曰く我が国体は既に分かり切ったものと思い込んで実はよく知らない者が多く精神面度外視して表面だけ考えたり、英国や旧ドイツ帝国旧ロシア帝国などと同じよう考えたり、民主思想絶対に相容れないものと考えたりする、その誤謬は実に様々である、と述べ国体民主思想矛盾するものではないと語る。井上哲次郎これまで万世一系血統重視していたが、同書ではポイント移して王道仁政)を重視し民本主義人道主義国体根差す主張する。これは、大正天皇病気療養国体論の不安を見た井上哲次郎が、国体論を再編し国体正統性について説得的論拠提供しよう試みたものと評される井上哲次郎の『我が国体と国民道徳』は公刊1年経った1926年大正15年9月ごろから頭山満国家主義者猛烈に批判され翌年1月発禁処分を受ける。当時の批判は「彼(井上哲次郎)は全く時代思潮追随者で、彼自身見識意見有るものではない」、「震災前出版していた国民道徳概論には国体破壊恐れある言論ほとんどない」のに、『我が国体と国民道徳』については「なるほどこれ怪しからぬ。かれ井上氏何時の間にこんな物を書くほどに、それも国民道徳と銘を打って全国児童の頭に植えつけるような書物に書くほどに悪化したろうか」というものであった具体的には、三種の神器のうち鏡と剣は模造品であるなどと記した部分があり、これが不敬であるとされたこと、またそれよりむしろドイツ・オーストリア・ロシアの君主国体が倒れたことについて「このように国体というものがガラリガラリと一変して行くのを引き続いて見た」などという記述問題視されたことが挙げられる。この不敬事件は、井上哲次郎国体再編試み伝統的国体論から攻撃受けて挫折したものと評される井上哲次郎公職辞めざるを得なくなり以後著述専念する

※この「井上哲次郎不敬著書事件」の解説は、「国体」の解説の一部です。
「井上哲次郎不敬著書事件」を含む「国体」の記事については、「国体」の概要を参照ください。

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