二階派時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 08:24 UTC 版)
2012年12月26日に会長の伊吹文明が衆議院議長に選出され、慣例により同派を離脱したことに伴い、翌12月27日に二階俊博が後任会長となり、二階派に移行。事務総長の河村建夫も党四役ポストに格上げされた選挙対策委員長就任に伴い、同派を離脱。後任の事務総長は西川公也となった。 2014年9月の党役員人事で会長の二階が総務会長に就任したため、慣例として派閥を退会。会長職は空席とし、選対委員長を退任した河村が会長代行に就任した。なお、対外的な呼称(通称)は引き続き二階派のままである。同年12月に伊吹が衆議院議長を退任し復帰。2015年、石原派との合流論が浮上。2016年8月に二階が幹事長に就任したことで幹事長派閥となり、二階は自民党総裁任期を「連続2期6年」から「連続3期9年」に延長する党則改正を主導した。 第3次安倍第2次改造内閣では今村雅弘を、第4次安倍改造内閣では吉川貴盛、桜田義孝を入閣させ、他派閥からの移籍組を閣僚に押し上げる手腕を見せたが、今村・桜田は後に失言で辞任している。
※この「二階派時代」の解説は、「志帥会」の解説の一部です。
「二階派時代」を含む「志帥会」の記事については、「志帥会」の概要を参照ください。
- 二階派時代のページへのリンク