事例 [編集]
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/05/19 06:16 UTC 版)
民俗資料においては、以下のような事例が報告されている。 その昔、北津軽郡飯詰村(現・五所川原市)で凶作の折に、村の畑が荒らされた。ある村人が、さえこという女の家に悪戯でその畑の作物を置いておいたところ、役人がそれを見つけ、さえこは畑を荒らした罪を着せられて死罪となり、淵に沈められた。後に、さえこを陥れた村人は、家人ともども死に絶えた。さえこの沈められた淵は田となったが、田植えをしようとすると常に雨が降り、さえこ田と呼ばれた。後にその場所は宅地となったが、そこに建てた家では病人や怪我人が絶えなかった。 天明の大飢饉の年。ある者が土地の博労を殺して金を奪い、罪の発覚を恐れてその妹を殺した。以来、博労たちを殺した者の家では精神を患った者が多く生まれるようになった。大正時代に至るまで、家人は精神を患うようになり、天明時代以来の長きにわたる祟りといわれた。 七里長浜(津軽半島の日本海側の海岸)は、かつて難破船が多く流れ着いており、村人が生き残りの船乗りを殺して金品を奪うことが多く、その殺された者がたたりもっけになるといわれた。ある難破船の船頭を村人の1人が殺したところ、殺された船頭の墓石の文字が年々はっきりと浮かび上がり、殺した村人の家では代々、家人が盲目となったり、女が子供を産むときに死んだりして、殺された船乗りのたたりもっけといわれた。
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