乱魔堂解散まで
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1967年、日本大学芸術学部在学中に竹田和夫らとツインリードのハードロックバンド=ビッキーズを結成した。ビッキーズは数年で発展的解消した。 1969年にブラインド・レモン・ジェファーソンを結成、プロデビューする。主にシカゴ・ブルースを演奏した。 1970年、布谷文夫、センチメンタル・シティ・ロマンスの告井延隆らと「DEW」を結成したが、翌年には脱退した。 1971年、乱魔堂を結成。初代メンバーは、松吉久雄(ボーカル)、洪栄龍(ギター)、猿山幸夫(ベース)、矢島敏郎(ドラム)。日本語のロックを標榜したそのバンドの姿勢とプレイは大きく注目され、以降の日本のロックミュージックシーンに大きな指針を示したとされる。日比谷野外音楽堂で開催された『ROCK DAY』や『第3回全日本フォークジャンボリー』などに出演、ギタリスト洪栄龍の名前は一気にオーバーグラウンドに躍り出た。 1972年、バンドはアルバム「乱魔堂」を発表した。その後メンバーチェンジを繰り返しさまざまな音楽性を模索したが、この年の年末に解散した。 1973年、スラッピー・ジョー、洪栄龍&グローリー・バンドを結成した。個人では遠藤賢司や加藤登紀子のレコーディングに参加した。その他、中山ラビ、亀渕友香、石川セリ、西岡恭蔵、小室等、山崎ハコ、小坂忠など、セッションしたアーティストは多い。 1975年、セッション活動を続ける傍ら、初のソロアルバム「目覚まし時計」を発表した。 1982年、活動停止(沈潜)した。以降はプロデューサー業、後進の指導など音楽スタッフとして活動した。
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