久方 (名古屋市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/25 16:33 UTC 版)
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久方
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豊田工業大学
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北緯35度6分19.47秒 東経136度59分1.88秒 / 北緯35.1054083度 東経136.9838556度 | |
国 | ![]() |
都道府県 | ![]() |
市町村 | ![]() |
区 | 天白区 緑区 |
面積 | |
• 合計 | 0.475343348km2 |
人口 | |
• 合計 | 4,308人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 | |
市外局番 | 052 (名古屋MA)[WEB 6] |
ナンバープレート | 名古屋 |
久方(ひさかた)は、愛知県名古屋市天白区と緑区にある町名。現行行政地名は久方一丁目から久方三丁目。住居表示未実施[WEB 7][WEB 8]。
地理
名古屋市天白区の南部、緑区の北部に位置し、天白区側の東に天白区高坂町、天白区側の南東と緑区側の西に緑区桃山、天白区側の北に天白区一つ山、天白区側の北西に天白区山根町、天白区側の西に天白区境根町、天白区側の南に緑区相川、天白区側の南と緑区側の東に鳴海町、緑区側の南にほら貝と接する。
歴史
町名の由来
『古今和歌集』に撰録された紀貫之の和歌である「久方のひかりのどけき春の日に」に由来するという[1]。
沿革
- 1968年(昭和43年)5月1日 - 昭和区天白町大字野並の一部により同区久方一丁目が、天白町大字野並および一つ山の各一部により久方二丁目がそれぞれ成立する[2]。
- 1970年(昭和45年)2月24日 - 昭和区天白町大字島田の一部を同区久方二丁目に編入する[2]。
- 1973年(昭和48年)10月25日 - 昭和区天白町大字野並の一部を同区久方一丁目および二丁目にそれぞれ編入する[2]。また、同区天白町大字野並の一部により久方三丁目が成立する[2]。同時に緑区鳴海町の一部により、同区久方二丁目および久方三丁目が成立する(緑区久方二丁目・同三丁目については以降の行政区の異動はない)[3]。
- 1975年(昭和50年)2月1日 - 天白区編入に伴い、同区久方一丁目・久方二丁目・久方三丁目となる[2]。
- 1980年(昭和55年)6月15日 - 天白区天白町大字野並および緑区鳴海町の各一部をそれぞれ天白区久方三丁目に編入する[2]。
- 1983年(昭和58年)10月9日 - 天白区島田の一部を同区久方一丁目に編入する[2]。
- 1985年(昭和60年)8月11日 - 天白区天白町大字野並の一部を同区久方一丁目と久方二丁目にそれぞれ編入する[2]。また、天白区天白町大字野並および久方二丁目の各一部が同区久方三丁目にそれぞれ編入される[2]。
世帯数と人口
2019年(平成31年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[WEB 3]。
区 | 丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|---|
天白区 | 久方一丁目 | 1,358世帯 | 2,480人 |
久方二丁目 | 202世帯 | 402人 | |
久方三丁目 | 501世帯 | 1,247人 | |
天白区 計 | 2,061世帯 | 4,129人 | |
緑区 | 久方二丁目・三丁目 | 91世帯 | 179人 |
計 | 2,152世帯 | 4,308人 |
学区
市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる[WEB 9]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[WEB 10]。なお、小・中学校は学校選択制度を導入しておらず、番毎で各学校に指定されている。
区 | 丁目 | 小学校 | 中学校 | 高等学校 |
---|---|---|---|---|
天白区 | 久方一丁目 | 名古屋市立相生小学校 | 名古屋市立久方中学校 | 尾張学区 |
久方二丁目 | 名古屋市立相生小学校 名古屋市立高坂小学校 |
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久方三丁目 | ||||
緑区 | 久方二丁目 | 名古屋市立桃山小学校 | 名古屋市立神沢中学校 | |
久方三丁目 | 名古屋市立戸笠小学校 |
施設
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