丸吉講の富士塚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 03:42 UTC 版)
浅海吉右衛門は、富士登山三十三度の大願成就を果たしたことを記念に、天保2年(1831年)に現新座市道場の法台寺境内に片山富士を築いた。ここには4首の和歌を刻んだ記念碑が建っているが、その基部には23町村の先達と世話人58名の氏名が彫られており、当時の丸吉講がかなりの広がりをもっていたことが分かる。 明治維新の神仏分離の混乱の中でも、丸吉講は活発に行動しており、それは周辺各地に残る丸吉講社築造の富士塚、或いは、丸吉講が築造支援した他講の富士塚でうかがえる。現在、確認されている丸吉講築造並びに支援の富士塚は、下記の通りである。 通称所在地築造年備考片山富士埼玉県新座市道場 法台寺 1831年 大和田中野富士埼玉県新座市中野 1871年 -埼玉県新座市野火止 神明神社 ? 常夜灯。富士塚なし -埼玉県和光市新倉 氷川八幡神社 ? 富士塚なし 下新倉富士埼玉県和光市下新倉 氷川神社 1870年 浅久保富士埼玉県和光市中央 浅間神社 1873年 白子富士埼玉県和光市白子 熊野神社 1870年 丸瀧講築造 -埼玉県朝霞市溝沼 個人宅地内 1872年 現在消滅 田子山富士埼玉県志木市本町 敷島神社 1872年 -埼玉県志木市柏町 氷川神社 ? 宗岡富士埼玉県志木市上宗岡 浅間神社 1926年 丸藤講築造 藤久保富士埼玉県入間郡三芳町藤久保 ? 八軒家富士埼玉県入間郡三芳町上富 浅間神社 ? 石灯籠 下練馬富士東京都練馬区北町 浅間神社 1872年 大泉富士東京都練馬区大泉町 八坂神社 1873年 上赤塚富士東京都板橋区赤塚 氷川神社 1876年 下赤塚富士東京都板橋区大門 諏訪神社 1882年
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