中国のベトナム侵攻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 15:02 UTC 版)
「カンボジア・ベトナム戦争」の記事における「中国のベトナム侵攻」の解説
詳細は「中越戦争」を参照 1979年2月、中国は中越国境に展開する部隊を投入し、ベトナムのカンボジア侵攻に対して報復をおこない、10日間で複数の県庁所在地に達した。戦闘は、中国側部隊が迷路のようなトンネルに遭遇して行き詰まり、それでも中国軍は3月2日にカオバンを、3月4日にランソンを占領した。兵站状況は良くなかったが、高速でハノイに向けて進軍していたという。しかし翌日、北京の政府は、実際は激しい会戦の後、アメリカ軍がベトナム戦争で残した技術を基に、意外なことに良く訓練され経験を積んだベトナム軍の激しい抵抗にあい、ベトナムに深く侵攻することはないだろうと発表した。侵攻により脅威を与えることに成功したと確信して、500 kilometers (310 mi)の進撃路にわたり破壊されたものを残して、中国は撤退した。ベトナムは失地を回復し、さらに中国の支援を失ったことでカンボジアは自らの失地回復に失敗した。樹立間もないカンボジアのPRK政権は、徴兵をおこない、中越国境沿いの大部分の部隊をベトナムに駐留させる必要が生じた。このカンボジア軍の牽制は、反乱と強い不平を生み出した。
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