中井藍江とは? わかりやすく解説

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中井藍江

読み方なかい らんこう

江戸後期画家大坂の人。別号に師古、字は伯養・子養・養三、俗称は養清。初め蔀関月学び山水人物能くした。また雪舟李竜眠・牧谿の画や四条派写生取り入れた中井竹山詩文学び蒹葭堂とも交流した。『播磨名所図会』『かわころもの記』等の著書がある。文政13年1830)歿、65才。

中井藍江

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/13 00:24 UTC 版)

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「飲中八仙図」のうち汝陽郡王李璡 関西大学図書館蔵。

中井 藍江(なかい らんこう、明和3年〈1766年〉 - 文政13年7月22日または7月23日1830年9月8日または9月9日〉)とは、江戸時代中期の大坂絵師

来歴

蔀関月の門人。大坂の人。名は直、または眞。通称は養清、養三あるいは養蔵。字は養三、子養、伯養。藍江、師古と号す。銭橋南、後に伏見町心斎橋東に住んでいた。関月に浮世絵を学び、さらに牧谿や李龍眼などを独学、四条派の写生味を加えた山水図、人物図に優れた手腕を発揮し、大坂画壇に一家を成した。また、木村蒹葭堂をはじめとした当代の文人墨客と交わり、中井竹山に詩文を学び、余技に茶道を嗜んだ。作画期は寛政1789年 - 1801年)から文政1818年 - 1830年)までである。

文化元年(1804年)刊行の地誌本『播磨名所巡覧図会』(村上石田著)の挿絵を描いている。なお本図会の序と跋は享和3年(1803年)に書かれている。その他に狂歌本などの挿絵を手掛けており、例として文化5年(1808年)刊行の狂歌本『かはころもの記』(鉄格子波丸著)、文化9年(1812年)序の紀行文『東のつと』(西浦祐賢著)などが挙げられる。享年65。墓所は明治になって廃寺となった、生玉の覚円院。

画風は、当時流行していた南蘋派の図様も取り入れつつも、与謝蕪村や四条派風が強い洒脱な南画と言える。余白を大きくとり、簡潔でおおらかな作風だが、悪く言うと大味で説明的である。作品数は比較的よく残っており大作も珍しくない。門人も数多く、に上田公長、山口蘭石、木村片石、水尾龍淵、菊川竹渓、玉手棠洲、鎌田巌松、水尾龍洲らがいる。

作品

作品名 技法 形状・員数 寸法(縦x横cm) 所有者 年代 款記・印章 備考
槇檜群鹿図屏風 紙本金地墨画 六曲一双 関西大学図書館 「直中」白文方印
福壽和合神 絹本著色 1幅 104.8x45.2 関西大学文学部美学美術史資料室 款記「応需藍江謹画」/「中直之印」白文方印・「伯養」白文方印[1]
飲中八仙図 紙本墨画淡彩 6幅対 関西大学図書館
騎馬武者図 絹本墨画淡彩 1幅 大阪大学懐徳堂文庫 中井蕉園(中井竹山の第4子)賛
小石元俊先生解死図譜 個人 1796年(寛政8年)[2]
宋六君子図 紙本墨画淡彩 額装3面 大阪大学懐徳堂文庫 1797年(寛政9年) 「藍江」白文方印 蔀関月と3面ずつ合作。頼春水賛。中井竹山の依頼で描かれ、懐徳堂の長押の上に掲げられていた[3]
中井竹山像 紙本墨画 1幅 大阪大学懐徳堂文庫 1798年(寛政10年) 「中信印信」白文方印 中井竹山賛。同年正月16日の初講の日の宴席で、書画の競作が行われた。この際、藍江に佐倉藩の渋井子要が竹山の講義姿を描かせ、その場で賛を求められた竹山は断ることもできず、酔中に揮毫した作品。 蓋裏墨書によって、富岡鉄斎が大正13年(1924年)に寄贈したことが判明する[4]
厳島 絹本墨画淡彩 1幅 55.9x85.1 個人 1802年(享和2年)頃か 頼春水賛。賛文は享和2年(1802年)広島藩浅野斉賢の厳島参詣に随行した際の様子を詠んでいる[5]
白雉図 絹本著色 1幅 豊中市教育委員会(服部天満宮文庫旧蔵) 1805年(文化2年) 中井柚園(中井履軒の子)賛。柚園の手記『柚園数記』により、制作事情が判明する。制作の2年前の正月に白雉が発見され将軍家に献上された。その年は豊作だったので、人々は白雉を瑞兆とされ、その白雉を見ていた池田氏が制作を依頼したという[6]
梅鶴図 紙本金地著色 衝立1面 129.5x156.0 吹田市立博物館 款記「藍江寫」/「師古」白文方印 裏面は岡熊嶽筆「山水図」[7]
龍虎図 絹本墨画 双幅 大阪大学文学部 各幅に款記「藍江寫」/「直中」白文方印
蘭亭曲水宴図 大阪市立美術館
男女憩いの図 絹本着色

脚注

  1. ^ 中谷伸生 「木村蒹葭堂の周辺から次代の画家たちへ」『関西大学博物館紀要』第23号、2017年3月31日、pp.24-54。
  2. ^ 津山洋学資料館編集・発行 『平成27年度津山洋学資料館秋期企画展 解剖図の世界』 2015年9月、pp.12-13。
  3. ^ 豊中市史編さん委員会編集 『新修豊中市史 第6巻 美術』 豊中市、2005年12月28日、pp.236-241。
  4. ^ 豊中市史編さん委員会編集 『新修豊中市史 第6巻 美術』 豊中市、2005年12月28日、pp.242-244。
  5. ^ 「日本三景展」実行委員会編集・発行 『松島・天橋立・厳島 日本三景展』 2005年8月2日、pp.133,208。
  6. ^ 豊中市史編さん委員会編集 『新修豊中市史 第6巻 美術』 豊中市、2005年12月28日、口絵65、pp.200-202。
  7. ^ 吹田市立博物館編集発行 『市制施行六十周年記念 収蔵品展―受け継がれてきた吹田の文化財―』 2000年10月21日、p.15。

参考文献

  • 日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』(第2巻) 大修館書店、1982年
  • 中谷伸生 「中井藍江「槇檜群鹿図屏風」及び「飲中八仙図」 関西大学図書館所蔵の絵画二件をめぐって」『關西大學文學論集』 第48号、pp. 23-44、1999年3月(後に『大坂画壇はなぜ忘れられたのか 岡倉天心から東アジア美術史の構想へ』 醍醐出版、2010年3月、pp.337-349)


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