下船塚古墳
下船塚古墳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/13 20:45 UTC 版)
下船塚古墳 | |
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墳丘(右に前方部、左奥に後円部)
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所属 | 上中古墳群 (うち日笠古墳群/船塚古墳群) |
所在地 | 福井県三方上中郡若狭町日笠 |
位置 | 北緯35度28分16.10秒 東経135度48分51.42秒 / 北緯35.4711389度 東経135.8142833度座標: 北緯35度28分16.10秒 東経135度48分51.42秒 / 北緯35.4711389度 東経135.8142833度 |
形状 | 前方後円墳 |
規模 | 墳丘長85m |
埋葬施設 | 不明 |
出土品 | 埴輪 |
築造時期 | 6世紀中葉 |
史跡 | 国の史跡「下船塚古墳」 |
地図 |

下船塚古墳(しもふなづかこふん)は、福井県三方上中郡若狭町日笠にある古墳。形状は前方後円墳。上中古墳群(うち日笠古墳群/船塚古墳群)を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定されている。
概要
古墳群 | 古墳名 | 墳丘 | 築造時期 | 史跡指定 | |
---|---|---|---|---|---|
脇袋 | 上ノ塚古墳 | 前方後円墳 | 100m | 5c初 | 国の史跡 |
城山古墳 | 前方後円墳 | 63m | 5c中 | ||
脇袋 | 西塚古墳 | 前方後円墳 | 74m | 5c後 | 国の史跡 |
中塚古墳 | 前方後円墳 | 72m | 5c末 | 国の史跡 | |
天徳寺 | 十善の森古墳 | 前方後円墳 | 68m | 6c初 | 福井県指定史跡 |
日笠 | 上船塚古墳 | 前方後円墳 | 70m | 6c前 | 国の史跡 |
下船塚古墳 | 前方後円墳 | 85m | 6c中 | 国の史跡 | |
天徳寺 | 丸山塚古墳 | 円墳 | 50m | 6c中 | (消滅) |
福井県南西部、若狭地方中央部において北川左岸の丘陵上に築造された古墳である。北川流域で若狭の首長墓系譜を形成する上中古墳群(脇袋古墳群・天徳寺古墳群・日笠古墳群を包括)のうち、最も西方の日笠古墳群に属する。本古墳は南側に並存する上船塚古墳と合わせて「夫婦塚」とも称され、現在は上船塚古墳との間を旧国道(若狭街道)が通る。1990年(平成2年)・2025年度(令和7年度)以降に発掘調査が実施されている。
墳形は前方後円形で、墳丘主軸を東西方向として前方部を西方向に向ける(上船塚古墳と同方向)[3][4]。墳丘は2段築成[5][4]。墳丘外表では埴輪が採集されているが、葺石は認められていない[4]。墳丘周囲には二重周濠が巡らされており[6]、周濠外堤でも埴輪が存在したとされる[4]。埋葬施設は明らかでないが、石室が存在したとされる後円部・前方部に大規模な盗掘坑が認められる[5][7]。
築造時期は、古墳時代後期の6世紀中葉[7](または6世紀前半[4])頃と推定される。若狭地方の王墓としては上船塚古墳に後続する最後の前方後円墳に位置づけられる[7]。被葬者は明らかでないが、脇袋古墳群から続く上中古墳群は若狭国造の膳臣(かしわでのおみ、膳氏)一族の首長墓群と考えられており、本古墳もその1つと想定される[1]。
古墳域は1935年(昭和10年)に国の史跡に指定されている[8]。
遺跡歴
- 1935年(昭和10年)12月24日、国の史跡に指定[8]。
- 1990年(平成2年)、範囲確認調査(上中町教育委員会、1991年に報告)。
- 2024年度(令和6年度)、測量調査(花園大学考古学研究室)。
- 2025年度(令和7年度)以降、発掘調査(花園大学考古学研究室)。
墳丘
墳丘の規模は次の通り[4]。
- 墳丘長:約85メートル
- 後円部 直径:約47メートル
- 前方部 幅:約47メートル
墳丘の形態は上船塚古墳と異なっており、脇袋古墳群の上ノ塚古墳との類似が指摘される[9]。
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墳丘(右に前方部、左奥に後円部)
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後円部墳頂の盗掘坑
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後円部(前方部から望む)
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前方部墳頂の盗掘坑
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前方部(後円部から望む)
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円筒埴輪片
花園大学歴史博物館企画展示時に撮影。
文化財
国の史跡
- 下船塚古墳 - 1935年(昭和10年)12月24日指定[8]。
関連施設
- 若狭町歴史文化館(若狭町市場) - 下船塚古墳の出土埴輪を展示。
脚注
- ^ a b 福井県の地名 上中古墳群 1981.
- ^ 『若狭三方縄文博物館・若狭町歴史文化館常設展示図録』 若狭町歴史文化課、2014年、pp. 12-24, 37(若狭町歴史文化館常設展示図録セクション)。
- ^ 福井県の地名 下船塚古墳 1981.
- ^ a b c d e f 続日本古墳大辞典 2002.
- ^ a b 福井県の地名 上船塚古墳 1981.
- ^ "下船塚古墳(若狭町)に二重周濠 継体天皇支えた人物か 花園大調査"(福井新聞、2025年9月12日記事)。
- ^ a b c 『若狭三方縄文博物館・若狭町歴史文化館常設展示図録』 若狭町歴史文化課、2014年、p. 23-24(若狭町歴史文化館常設展示図録セクション)。
- ^ a b c 下船塚古墳 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 下船塚古墳(小浜市・若狭町日本遺産活用推進協議会「日本遺産 御食国若狭と鯖街道」)。
参考文献
(記事執筆に使用した文献)
- 史跡説明板
- 『福井県の地名』平凡社〈日本歴史地名大系18〉、1981年。ISBN 4582490182。
- 「上中古墳群」、 「下船塚古墳」。
- 山口充「下舟塚古墳」『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。 ISBN 4490102607。
- 鈴木篤英「下船塚古墳」『続 日本古墳大辞典』東京堂出版、2002年。 ISBN 4490105991。
- 「下船塚古墳」『国指定史跡ガイド』講談社。 - リンクは朝日新聞社「コトバンク」。
関連文献
(記事執筆に使用していない関連文献)
- 「下船塚古墳」『日笠地区圃場整備事業に伴う発掘調査報告』上中町教育委員会〈上中町文化財調査報告7〉、1991年。
外部リンク
- 下船塚古墳のページへのリンク