上海大厦 (1951-1969)
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「ブロードウェイマンション」の記事における「上海大厦 (1951-1969)」の解説
1951年5月1日、1945年から所有を引き受けていた上海市議会は、ブロードウェイマンションの名前を「上海大厦、上海大楼」と名を変えた。これは英語では一般には「上海マンション」として知られている。どうやら1957年にはこの建築は「ゴールデンリバーホテル」として知られていたようである。この当時、タイムズ記者James Bertram (1910-1980)によって「明らかな変化なしに日本占領期を生き長らえた念入りな西洋様式のホテル兼アパート」として書かれている。1956年、英国の小説家で映画製作者である Rubeigh James Minneyは1956年に上海を訪れ、上海マンションの1階の店舗について次のように言及している。「1階にはとても優れた雑貨屋が入店している。」「雰囲気はとてもエレガントであり、コントラストに関して言えばハロッズレベルと言えるかもしれない。」 1965年には、「上海のでかくて不恰好な建物」と書かれている。ベルギー人ジャーナリストJacques Marcuseはこの評価に同意して、1967年にこのマンションに関して「高くて、しかししゃがんでいるような不恰好な建物」と書いている。同年、Sally Backhouseは「乾いた古いチーズのように、石版に似た建物は多くの窓に穴を開けられ砂で汚れて、聳え立っている。」と書いている。また、「この最大の建物が有名な“ブロードウェイマンション”だ。資本家の日の時の贅沢な建物であり、往時に借りられたビルである。」と指摘している。ほかの1960年代中ごろのこの建物について定住者は大きな建物だと書いている。しかし、「上海マンションは上海でもっとも贅沢なホテルとはいえない。」ともしている。
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