上海国際阿片会議
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アジアにおける阿片問題に関心を示していたマニラ在住の米国人宣教師チャールズ・ブレント(英語版)は、アメリカ合衆国大統領ルーズベルトに対し、アジア殊に清国においての阿片拡大の窮状と吸引禁止に関するの国際会議開催の必要性を意見した。これに応じたルーズベルト合衆国大統領は、清国と当時関係の深い英国と日本国の了解を得て、1904年10月に建議した。清国は、阿片の製造及び販売を禁止することは甚だ困難であるが研究するとして国際会議に同意を示した。 1909年2月1日に米国、英国、日本、清国に加えて、ドイツ帝国、フランス、ロシア帝国、イタリア、イラン、オーストリア・ハンガリー帝国、オランダ、シャム、ドイツ、ポルトガルによる万国阿片委員会(英語版)が上海で開催された。各国の阿片、モルヒネ、コカインの輸出入の状況及び吸煙者の数や国籍、人口に対する比例と取締状況などの報告と専売国における状況等が6つの委員会で検討され、9か条からなる議定書を採択して2月26日に終了した。上海阿片条約とも称されるこの議定書は、採択国の国内及び中国におけるアヘン等の統制に関する事柄であったが、8条及び9条において参加国政府の勧奨を切望する或いは希望するとされたことから、参加政府に対する勧告の意味が大きかった。
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