三友館〜日活館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 02:53 UTC 版)
狸小路は明治時代から町屋や飲食店、勧工場、演芸場などが並ぶ商店街として進化を遂げ、1892年(明治25年)に設立した寄席「札幌亭」をルーツとする帝国座(1丁目)や、1910年(明治43年)に演芸場として設立し、その後松竹の封切館となった遊楽館(3丁目)も狸小路にあった。 1925年(大正14年)、先述の「遊楽館」を経営していた九島興行により、パラマウント映画を中心とする洋画封切館『三友館』として狸小路5丁目に設立された。初代の支配人は谷井平蔵で、運営会社の名称はその名字に由来している。 1936年(昭和11年)には道内初のトーキー上映を開始。1938年(昭和13年)、日活に経営が譲られ、日活館となったが、1940年(昭和15年)に九島興行より独立。1955年(昭和30年)からは邦画各社の準封切館となる。この年には帯広市出身の歌人・中城ふみ子の生涯を映画化した日活作品『乳房よ永遠なれ』(田中絹代監督)がヒットしている。1960年(昭和35年)、谷井新蔵が2代目の館主となる。
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