三位一体の隠蔽
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 15:27 UTC 版)
キリスト教会により、以下が指摘されている。 キリスト教でいう三位一体を、本書はつとめてひた隠しにしている。 エホバの証人が攻撃しているキリスト教の三位一体をひとことでいうと、三位すなわち3つの位格が一体であることである。「ただひとりの神」が「3つの位格(人間でいう人格)」をもち、それらが本質的に一体であるというものである。三位とは父と子と聖霊、すなわち天地の造り主である全能の父なる神、神の子イエス・キリスト、そして聖霊である。どの位格も聖書の神といえるし、ただひとりの神である以上、一体でなくてはおかしい。旧約聖書の主なる神すなわちヤハウェとは、新約聖書では三位一体の神を指すことも、父、子、聖霊のいずれを指すこともあるのである。 上述の内容について、エホバの証人は以下を主張している。 しかし、この主張には矛盾がある。なぜなら、①マタイ4章10節で、申命記5章9節を引用してヤハウェ(エホバ)だけを崇拝するよう命令されていること、②マタイ12章32節でイエスへの冒涜は許されるが、聖なる力(聖霊)への冒涜は許されないと、イエス自身が明言していること、③イエス自身聖書中でたびたび神に祈っていること(イエスが神なら祈る必要はない。もし、弟子に示すために祈りのふりをしたというならイエスは偽善者ということになる。)、④イエス自身、ご自分より神のほうが偉大だと認めていること(ヨハネ14章28節)⑤使徒パウロは、頭の権を述べる際に神がイエスの「頭」であることを前提にしていること(コリント人への第一の手紙11章3節)などから、三位一体は聖書の記述と矛盾するからである。 上記のことから、エホバの証人の組織の出版物は「キリストは神性を備えてはいるが神ご自身ではなかった」、「聖なる力は、人や神のような存在ではなく、神が送り出す力」と教える。 キリスト教側の反論によれば、それは聖書に矛盾する。具体的にはたとえば、イエスが神であることは新約聖書『ヨハネによる福音書』などでとくに強調されているし、また聖霊の神がクリスチャンたちに行う語りかけを同『使徒言行録』などが実例を挙げて示していることからしても、聖書のいう聖霊は意思ある位格(人間でいう人格)であるといえる。 上述の内容について、エホバの証人は以下を主張している。 しかし、聖書中で聖なる力(聖霊)が神であると主張する箇所はなく、上記の主張は三位一体論者の妄信である。
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