一般大学から集合大学へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/07 04:48 UTC 版)
「ヨハン・ヴォルフガング・ゲーテ大学フランクフルト・アム・マイン」の記事における「一般大学から集合大学へ」の解説
1953年、ヘッセン州はプロイセン時代の旧ヘッセン=ナッサウ州の債務を引き受けることになり、これによってフランクフルト大学は1967年に基金大学から州立大学へ転換した。しかしながら、大学の変革をもたらしたのは市の財政が後退したためだけではなかった。フランクフルト教育大学 (Hochschule für Erziehung) を教育学部として併合したこともあり、教員養成もさらに専門教育との結びつきが強くなったのである。これと同時に、伝統ある法学、医学、哲学、自然科学と経済学・社会科学の5学部が19の専攻分野に分割された。この組織再編に伴って教育内容・制度が改革されたが、一方では学生側からの抗議運動が1968年と1969年の2回起こるという事態も引き起こした。抗議運動が最高潮に達した時期には、社会主義ドイツ学生連盟 (Sozialistischer Deutscher Studentenbund) によって大学が「カール・マルクス大学」(Karl-Marx-Universität) に短期間ながら改名されたこともあった。これらの動きに対し、古くから大学の発展に関わってきた "Ordinarien" と呼ばれる教授陣は、学生たちの地位グループ (Statusgruppe) すべてが発言権・決定権を持つことを支持し、1970年5月12日成立のヘッセン州大学法 (Hessisches Universitätsgesetz) の中で学生側の要求が受け入れられる形になった。
※この「一般大学から集合大学へ」の解説は、「ヨハン・ヴォルフガング・ゲーテ大学フランクフルト・アム・マイン」の解説の一部です。
「一般大学から集合大学へ」を含む「ヨハン・ヴォルフガング・ゲーテ大学フランクフルト・アム・マイン」の記事については、「ヨハン・ヴォルフガング・ゲーテ大学フランクフルト・アム・マイン」の概要を参照ください。
- 一般大学から集合大学へのページへのリンク