一揆の特徴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/28 22:45 UTC 版)
三閉伊通り約6万人に対して参加者1万6千人程度の大規模なものであった。全南部藩の領民は35万人程度である。参加者は農民や漁民、その他の様々な生業に携わる人々の集合で女性も多く、年齢層も幅広かった。 また、指導者の談合により行動は計画され、民衆はその指示に従っていた。さらに、藩政そのものを否定するに留まらず、失敗したとはいえ前藩主復位及び帰国を要求した点において、従来の一揆より政治性の高い要求であった。要求実現のため、藩と藩の公約にするために越訴という方法をとった。代表者45人の身にもしものことがあったら、子孫の10年間10両の保育料を各村が支給する契約を約束した。
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