ヴァイキングの定住
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 02:09 UTC 版)
「グリーンランドの歴史」の記事における「ヴァイキングの定住」の解説
西暦980年代にアイスランドのヴァイキングは、欧州人として初めてグリーンランドを発見した。これは「赤毛のエイリーク」と呼ばれる人物によるものである。エイリークは殺人により追放されるが、追放の最中にグリーンランドを発見する。グリーンランドの名称は、エイリークが付けたものであり、この名称の由来には二説ある。一つは、中世の温暖な気候により、グリーンランド南部に植生が見られたというもの、もう一つは植民を促すために誇大宣伝として付けられたというものである。 エイリークは、アイスランドに帰還後、グリーンランドへ植民する仲間を募った。伝承では985年に25隻の船で出発し、14隻が辿りついたとされている。エイリークらはグリーンランド南西岸、現在の Qassiarsuk 付近に最初の定住地を作っている。また、伝承では西暦1000年にエイリークの息子のレイフ・エリクソンが、ここより出発しヴィンランド(現在のニューファンドランド島)を発見している。なお、この定住地は発掘が行われており、その遺物の放射性炭素年代測定により西暦1000年頃に居住が行われていたことは確かめられている。 この定住地は、東西二ヶ所に分かれ、ピーク時にはそれぞれ千人規模となり、合わせて3千人から5千人が居住していた。13世紀頃にはヨーロッパとセイウチの牙、羊、アザラシ、乾燥タラなどの輸出を行っている。ヨーロッパ(ノルウェーやアイスランド)からは、船舶の建造に必要な木材や鉄製品の輸入を行っていた。アイスランドからの交易船は毎年運航され、時にはグリーンランドで越冬することもあった。住民の信教は、キリスト教信仰が行われており、少なくとも5つの教会跡が確認されている。 1261年にグリーンランドの住民は、ノルウェー王国に忠誠を誓うこととなったが、基本的には自治が行われていた。ただし、1380年にはノルウェー王国がデンマーク王国の支配下に入っている。 ヴァイキングの定住地は、14世紀頃から衰退し始め、15世紀後半には消滅したものと考えられている。この衰退の原因には諸説あり、気候の寒冷化(小氷期)による航海の難易度の上昇、ノルウェー船による交易独占に伴う交易の衰退、欧州における象牙の流通に伴うセイウチの牙の価値の減少などがあげられている。
※この「ヴァイキングの定住」の解説は、「グリーンランドの歴史」の解説の一部です。
「ヴァイキングの定住」を含む「グリーンランドの歴史」の記事については、「グリーンランドの歴史」の概要を参照ください。
- ヴァイキングの定住のページへのリンク