ヴァイキングとの戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 10:23 UTC 版)
「エゼルウルフ」の記事における「ヴァイキングとの戦い」の解説
エゼルウルフが軍議と合意を重んじる戦術を好んだのは、息子アルフレッドのトップダウン式軍隊指揮とは対照をなした。アングロサクソン年代記は840年代初頭からヴァイキングの襲来が次第に増えていたことを記録している。ヴァイキングの襲来、略奪、撤収という当初の行動パターンが、850年にはイングランドで冬を越すようになっていた。ウェセックスはたびたびヴァイキングと干戈を交え、843年には敗北を喫するが、851年、「エゼルウルフ、エゼルバルドおよび彼らの軍隊がアクレアでデーン軍(ヴァイキング)と戦い、完全勝利をおさめ、敵の根城を完膚なきまでに叩き壊した」。戦勝の報はシャルル2世の西フランクにまで届き、エゼルウルフの名声を高めた。
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