カール3世 (フランク王)とは? わかりやすく解説

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カール3世 (フランク王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/11 05:43 UTC 版)

カール3世ドイツ語:Karl III., 839年6月13日 - 888年1月13日)は、|フランク国王(在位:876年 - 887年)で、異称は「肥満王」(ドイツ語:Karl III. der Dicke)[1]。またローマ皇帝(戴冠:881年2月12日)。その治世は兄弟と共同統治の東フランク国王として始まり、879年に臨終の兄からイタリア王位を譲り受け、881年にローマ皇帝となり、882年にはもうひとりの兄の死で単独の東フランク王となり、884年には西フランク王位をも相続して分裂していたフランク王国カロリング帝国を一時的に統一した。しかし意欲も才覚もないカールは相続による統合を維持できず、弱腰の外交は帝国の分裂を決定的にした。西フランク王としてはシャルル肥満王フランス語:Charles le Gros)と呼ばれ、世数は付さない。




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