ワールド・パーティー初期
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「カール・ウォリンジャー」の記事における「ワールド・パーティー初期」の解説
ウォリンジャーは、スコットとの作業のかたわら自らの作曲活動を進めていった。ウォーターボーイズが契約していたエンサイン・レコード (Ensign Records) のサポートのもと、1985年にはバンドを離れて、1986年、ワールド・パーティー名義でのファースト・アルバム『Private Revolution』(プライヴェート・レヴォリューション、英語版)を発表した。 『Private Revolution』からシングルカットされた “Ship of Fools”(英語版)は、アメリカのビルボード・ホット100で27位、オーストラリアでチャート4位となった。その後のウォリンジャー作品と同様に、アルバムの歌詞には地球環境問題を連想させるものが多い。このアルバムで演奏者クレジットに並んだ名前はほとんどがウォリンジャーの変名で、ほとんどの楽器をウォリンジャーひとりで演奏し、田舎に借りた自宅スタジオで16トラック録音している。いくつかの曲では無名なころのシネイド・オコナーがコーラスを務める。 1988年、ウォリンジャーはシーヴュー・コテージ (Seaview Cottage) と呼ばれることになるロンドンのスタジオを購入し、これによって32トラックで作業ができるようになった。セカンド・アルバム『Goodbye Jumbo』(グッバイ・ジャンボ、英語版)は1990年にリリースされ、Q誌で「今年のアルバム」に選ばれたほか、グラミー賞の最優秀オルタナティヴ・ミュージック・アルバム賞 (Best Alternative Music Album) にノミネートされた。 シングルカット曲の “Way Down Now”(英語版)は、ビルボード誌のモダン・ロック・トラックスでアメリカ1位となった。ローリング・ストーン誌はアルバムについて「ディラン、レノン、プリンス、スライ、ストーンズから彼が借りてきたものを聞きとるのはどうしようもないほどにたやすいことだが、このアルバムを模倣作だと払い除けることは、『Goodbye Jumbo』をここまで大胆にまとめ、説得力をもたせている固い信念をも見失ってしまうこととなる」と評している。
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