ワールドカップ90年大会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 02:29 UTC 版)
「サッカーユーゴスラビア代表」の記事における「ワールドカップ90年大会」の解説
イタリアで開催された1990 FIFAワールドカップに臨んだユーゴスラビア代表はサフェト・スシッチ(ボスニア)、スレチコ・カタネッツ(スロベニア)、ドラガン・ストイコビッチ(セルビア)らを擁したスター集団であった。しかし、初戦の西ドイツ戦で、デヤン・サビチェビッチ(モンテネグロ)を入れたチームが機能しないみると(イビチャ・オシムはこの試合で意図的にスター選手を使い、機能しないことを示し、サッカーと民族問題を同一視して捉える母国のマスメディアを沈黙させたと言われている。)以降、サビチェビッチはスタメンから外れ、グループリーグのコロンビア代表、UAE代表を撃破し、グループリーグを突破、決勝トーナメント1回戦のスペイン代表もストイコビッチの2得点で下し、ベスト8準々決勝まで勝ち上がった。ここでユーゴスラビア代表を待っていたのがディエゴ・マラドーナ率いるアルゼンチン代表であった。 1990年6月30日、フィレンツェで行われたアルゼンチンとの試合は、記憶に残る試合の一つとして現在でも語られている。ユーゴスラビア代表はここまでの道程で、中盤の守備の要となるスレチコ・カタネッツを怪我で失っていた。しかもこの試合の途中で、右サイドのレフィク・シャバナジョヴィッチが退場。ユーゴスラビアは試合の大半を10人で戦うことを余儀なくされた。それでもこの試合は延長を含めて0-0のスコアレスドローに終わり、結果はPK戦にゆだねられた。 オシムの証言によると、このときPKを蹴ることを申し出たのはたったの2人。失敗して帰国した際に民族主義者により生命に危険に晒されることを恐れたためだといわれている。結局ユーゴスラビア代表はその2人以外の3人がPKを外して90年のワールドカップを後にした。
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