ロレーヌ公位継承問題とは? わかりやすく解説

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ロレーヌ公位継承問題

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/19 15:28 UTC 版)

アンリエット・ド・ロレーヌ」の記事における「ロレーヌ公位継承問題」の解説

ロレーヌ公アンリ2世の弟ヴォーデモンフランソワとザルム女伯クリスティーヌの間の第3子・長女として生まれた男子のいなかったアンリ2世は、1588年ブロワ城暗殺されギーズ枢機卿非嫡出子で、ロレーヌ宮廷引き取って養育したアンセルヴィル男爵ルイ・ド・ギーズ(フランス語版)に非常に目をかけており、男爵自分長女ニコル結婚させて公位継承者に指名するつもりだった。しかしこの計画は、継承順位からすればニコル配偶者として公位を継ぐ権利があるのは自分長男だと考えていた弟のヴォーデモン伯との間に亀裂生んだ兄弟間の対立激しくなると、ヴォーデモン伯は妻子の身の安全のために彼らをヴォーデモン所領避難させたうえ、自身ミュンヘン逃れた。両派による論争の中、アンリ2世は相当な苦労をして公国等族説得して自分味方に付けると同時に、弟ヴォーデモン伯とも和解するためにリュッツェルブルク男爵Baron von Lützelburg)をミュンヘン派遣した。ところが旅の帰途、リュッツェルブルクはナンシー近くの町の大通りで、ヴォーデモン伯の護衛隊長だったピエモンテ人リゲ(Riguet)を殺害してしまう。アンリ2世はこの事件を弟に知らせまいとしたが、ヴォーデモン伯はこの件を察知したアンリ2世先手打って軍勢集めヴォーデモン包囲し始めた1620年)が、頼みの綱だった義弟バイエルン公マクシミリアン彼に味方せず、等族たちはヴォーデモン伯との和解懇請したヴォーデモン伯に調停依頼され任地ボヘミアから戻ってきたドミンゴ・デ・ヘスス・マリア(ドイツ語版神父公爵兄弟で争うことの愚を滔々と説き、ようやく兄弟和解する至った両者和解の証として、1621年5月18日公爵長女ニコルヴォーデモン伯の長男シャルル婚約成立したニコルとの縁談失ったアンセルヴィル男爵は、補償としてヴォーデモン伯の長女アンリエットとの婚約求めた

※この「ロレーヌ公位継承問題」の解説は、「アンリエット・ド・ロレーヌ」の解説の一部です。
「ロレーヌ公位継承問題」を含む「アンリエット・ド・ロレーヌ」の記事については、「アンリエット・ド・ロレーヌ」の概要を参照ください。

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