ロブスタ種とリベリカ種
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 14:26 UTC 版)
「コーヒーの歴史」の記事における「ロブスタ種とリベリカ種」の解説
ウガンダに居住するブガンダ族には血盟の儀式の際にロブスタ種(カネフォラ種)のコーヒー豆を噛む習慣があり、1862年にウガンダに入り込んだ探検者がロブスタ種のコーヒーを発見する。1898年にベルギー領コンゴでロブスタ種が再発見された後、ロブスタ種の栽培が始められた。当初風味の悪さからロブスタ種は市場で敬遠されていたが、価格を武器にして世界中に広まっていく。 第一次世界大戦中にオランダでロブスタ種が流行し、1920年頃にはジャワ島で生産されるコーヒーの約80%がロブスタ種で占められるようになる。オランダのロブスタ種の流行に続き、インド、セイロン島、アフリカでもロブスタ種の生産が始められるようになった。1956年には世界で取引されるコーヒーの22%をロブスタ種が占めるようになり、これまでロブスタ種を忌避していたニューヨーク・コーヒー取引所も1960年にロブスタ種を公認した。ロブスタ種の一大生産地であるベトナムでの生産量の増加によって、2000年-2001年には世界で流通するコーヒーの約40%がロブスタ種となる。 ほか、1870年以降はリベリア原産のリベリカ種が栽培されている。リベリカ種は気候への順応力は高いが病気に弱く、栽培される地域はリベリア、スリナム、コートジボワールなど一部の国に留まり、出荷される地域も限られている。1870年代にさび病が流行した時にアラビカ種に代わる品種としてリベリカ種に注目が集まったが、さび病に弱く生産性も低いため、普及には至らなかった。
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