ロシア関与説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/16 02:09 UTC 版)
「アルメニア議会銃撃事件」の記事における「ロシア関与説」の解説
2005年春、元ロシア連邦保安庁(FSB)職員であったアレクサンドル・リトビネンコがアゼルバイジャンの新聞に語ったところによると、事件はロシア連邦軍参謀本部所属のロシア連邦軍参謀本部情報総局(GRU)が、ナゴルノ・カラバフ戦争の和平交渉を決裂させるために仕組んだものであるという(しかし、リトビネンコはこの告発を裏付ける何らの証拠も示していない)。 翌月に在アルメニア・ロシア大使館はリトビネンコの主張を全面的に否認し、告発はロシアの民主改革を認めない人間によるもので、アルメニアとロシアの関係(英語版)を割くことを狙ったものであるとした。アルメニア国家保安委員会 (hy) もまたリトビネンコの主張を否定し、スポークスマンは「リトビネンコの主張に関連する一片の事実も、仄めかしすらも、裁判において表れたことはない」と語った。コチャリャンの国家保安担当補佐官であるガルニク・イサグリアンは、リトビネンコを「病的」と形容した。 2012年10月には、フランスで活動する亡命聖職者のアルツルニ・アヴェティシサン(またの名をテル・グリゴル)も、独立メディア「A1+」(ru)によるインタビューに答えて、事件の背後にはロシアの特殊機関がいたと主張している。翌年5月には、同じくA1+に対し、事件に関与したのはセルジ・サルキシャン、そして防衛副大臣のヴァハン・シルハニアンであると名指しした。アヴェティシサンは、事件はコチャリャンやセルジ・サルキシャンといった「新ボリシェヴィキの犯罪者一族」に権力を与えるために、FSBが手助けしたものである、と主張した。
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