ロシア非常事態省大臣(1991年 – 2012年)
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「セルゲイ・ショイグ」の記事における「ロシア非常事態省大臣(1991年 – 2012年)」の解説
1991年4月にロシア民間防衛問題・非常事態・自然災害復旧省初代議長に就任したのを皮切りに、同年12月のソビエト連邦の崩壊後は非常事態・災害復旧のプロフェッショナルとして新生ロシアの危機管理に力を振るう事となり、1994年1月に非常事態相に就任する。1996年に安全保障会議議員、核兵器委員会委員、1997年に非常事態予防・除去省庁間委員会議長なども兼務する。 1999年の国家院選挙前にエリツィン大統領の指令を受けて結成された政権与党である「統一」の党首に選出され、勝利を収めた。祖国・全ロシアと合流した統一ロシア設立後はミンチメル・シャイミーエフやユーリ・ルシコフと共に党最高会議共同議長(党首)を務めた。プーチン大統領を経て、メドヴェージェフ大統領就任後も引き続き非常事態相を務めた。 2011年3月11日の東日本大震災ではメドヴェージェフ大統領の指示で援助隊を組織した。同年7月に原田親仁駐ロシア連邦大使と会談し、日露両国が共同で災害対応体制に関する整備が必要との考えを示した。
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