レジャー業・イベント業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 13:59 UTC 版)
江戸時代、千波湖の湖北側の奈良屋町と湖南側の七軒町(しちけんちょう 現在の本町1丁目)には舟宿があり遊覧船などを仕立てていた。江戸時代の千波湖は水戸城の外濠としての役割もあり、城防衛上の観点から夜間の舟の往来は禁止されていたが、奈良屋町と七軒町の者らは1800年(寛政12年)に夜舟の運航許可願いを出すと、それが認められ5月から7月の間は両町の舟宿から出る夜舟が認められた。許可後は、吉田神社の祭礼の日に舟中で酒宴を行いながら対岸の吉田神社まで渡る、屋形船的な営業もなされるようになった。 水戸藩の統制が無くなった明治以後は、湖上のレジャー業が拡大する。貸しボート屋が乱立し、ついに1930年に茨城県が規制に乗り出したが、効果無く増え続けた。同年8月には50艘の貸しボートが所属する貸しボート組合が設立された。 昭和の高度成長期は「偕楽園レイクランド」、「水戸レイクサイドボウル」といった大型レジャー施設が湖畔にオープンし、千波湖でのレジャー業はピークを迎える。だが1982年の偕楽園レイクランド閉園後は千波湖畔は都市公園として市民が思い思いのスタイルでレジャーを楽しむ場へと整備が進んだ。有料のレジャー施設としては貸しボート屋が1店湖西岸に残るのみである。 千波湖でのレジャーについては「#レジャー・スポーツ」を参照 現在の千波湖での目立つ商業活動は様々なイベントの会場として利用されていることである。1993年の千波湖周辺で開催された「第10回全国都市緑化フェア - グリーンフェア'93いばらき」以後、グルメフェスティバルや音楽フェスティバル等の野外イベントの会場として多用されるようになり、イベント内模擬店では飲食物販売、企業・団体の広報活動が行われている。このようなイベント開催は湖畔の広い公園エリアと大規模な駐車スペースが可能にしている。 千波湖でのイベントについては「#イベント」を参照
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