リンダ・ロンシュタットによるカバー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 03:36 UTC 版)
「バック・イン・ザ・U.S.A.」の記事における「リンダ・ロンシュタットによるカバー」の解説
ロンシュタットは、ベリーによるオリジナル・バージョンをロサンゼルスの近くで以前彼女のバンドに在籍したイーグルスのグレン・フライが運転する車中で、彼が作ったカセットテープで聴いた。ロンシュタットはフライに「私たちは昔、トルバドゥールのバーのあたりに座って『なんてこと、レコード契約ができない』なんて話していた」ことを思い出させており、「私たちは一文無しで悲惨だったし、自分たちが悲惨だと思っていたし、自分たちがとても貴重だと思っていた。突然彼の顔を見て見て私はこう言った:『坊や、人生は本当に厳しいよ。私たちはポケットに入っているお金を全部持って(アスペンに)スキーに行くんだし、楽しい時間を過ごせるし、テーププレーヤーには素晴らしい音楽が流れているんだ』と。ちょうどその時に「バック・イン・ザ・U.S.A.」が流れてきて、私はさらに『歌うには最高の曲だな。歌ってみようと思う』と言った」回想している。 ロンシュタットによるカバー・バージョンは、キャッシュボックス誌で最高位11位、Billboard Hot 100で最高位16位を獲得した。1987年10月16日、ロンシュタットはセントルイスのフォックス・シアターでチャック・ベリーの60歳の誕生日を祝うコンサートの一環としてベリーとともにステージに立った。製作助手のマーク・スローコムによれば、ロンシュタットとバンドはハ長調でリハーサルしていたのだが、ベリーの「バック・イン・ザ・U.S.A.」のコンサートでのギター演奏はト長調にする必要があった。スロコーム曰く「リンダ・ロンシュタットはプロなので、彼女が緊張していたり、失敗したりするのを聞くことはない。だけど……彼女がステージを降りるときにはとても腹を立てていて、楽屋を通り抜けてステージドアから出て、リムジンに乗り込んで2回目のステージには戻ってこなかった(ベリーの誕生日イベントは同じセットリストと同じゲストで2回のコンサートを予定していた)。」「バック・イン・ザ・U.S.A.」のロンシュタットとベリーの演奏はベリーの60歳誕生日コンサートの映画化作品、1987年公開の『ヘイル・ヘイル・ロックンロール(英語版)』とサウンドトラック・アルバムでもでも取り上げられているが、スローコムによれば「ロンシュタットがとても怒っていたので(演奏を)公開するためにサインしてもらうのにとても苦労した」とのことである。
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リンダ・ロンシュタットによるカバー
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「ザットル・ビー・ザ・デイ」の記事における「リンダ・ロンシュタットによるカバー」の解説
リンダ・ロンシュタットは、1976年8月に発売したアルバム『風にさらわれた恋』で、「ザットル・ビー・ザ・デイ」をカバー。プロデュースはピーター・アッシャーが手がけた。シングル・カットもされており、B面には「もう一度だけ」(Try Me Again)が収録された。 ロンシュタットによるカバー・バージョンは、カナダの『RPM』誌のチャートで最高位2位、アメリカの『ビルボード』誌のHot 100チャートで最高位11位を獲得した。ロンシュタットによるカバー・バージョンは、同年に発売されたコンピレーション・アルバム『グレイテスト・ヒッツ』や、2011年に発売されたホリーのトリビュート・アルバム『リッスン・トゥ・ミー:バディ・ホリー』にも収録されている。
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